当山の創建は1370年頃(足利義満の時代)。月江正公和尚(げっこうしょうこう)というお方が諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の末、風光明媚(ふうこうめいび)なこの 地に至り、朝夕濤々(とうとう)と響く潮の音に心を打たれ、此処 こそ安住の地と定め庵(いろり)を結び潮音堂と名づけたところ から始まる。
その後、延宝三年(1674)隣江山潮音寺(りんこうざんちょうおんじ)
と改称 れて曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院となり現在に至っている。
境内には俳聖芭蕉の愛弟子(まなでし)、 杜国(とこく)の墓があり、 その横に師弟三吟の碑がある。 又、漂白(ひょうはく)の俳人山頭火。 現代俳句の第一人者山口誓子の句碑 も境内にあり、その関係の研究者や参詣人が多数訪れる。
山門は、 昭和三十四年の伊勢湾台風で倒壊し、 その後、宮内庁より皇居内(こうきょない)にあった太田道潅お手植えの大欅(けやき)の払い下げを受け、その一本をもって建立し大本山 総持寺貰主孤峰智燦禅師(こほうちさんぜんじ)によって「千代田門」(ちよだもん)と命名。平成11年11月、20世住職の晋山式(しんさんしき)・庫裡落慶を記念して山門袖に御影石(みかげいし)の仁王像(におうぞう)を建立。
昭和三十三年、渥美半島に東海七福神が開帳され、 当山に毘沙門尊天(びしゃもんそんてん)が奉安される。春秋の大祭には観光バス百台以上が連なり、一大霊場として多数の参拝者 で賑わう。
本堂西側に、巌上観世音菩薩(がんじょうかんぜおんぼさつ)を祀る 「願成閣」(がんじょうかく)観音会館 (大本山永平寺貰首秦慧玉禅師命名)がある。
本尊 は、その昔、飛騨の山奥に祀られでいたものであった が緑あって当山に奉安されることになった。
その名、 巌上(願成)の示す通り、願うところことごとく成就(じょうじゅう)すると言われ、昔より厚き信仰を寄せられている。
毎年7月の第三日曜日には町をあげての「観音まつり」が行われ、多彩な企画の中、老若男女が夏の夜を楽しむ、又、観音様を賛嘆する太鼓として昭和57年に、渥美太鼓「願成観音太鼓」が発足し、今では渥美の伝統芸能としてボランティア活動をはじめ、各種行事に年間50回以上の演奏を行っている。